ポルトガルでのインターンシップ体験記

はじめに
今年の夏私は,IAESTEの研修生としてポルトガルのある化学会社に2ヶ月間インターンシップに出けてきました.それは,ポルトガルのEsterrejaという小さな町にあるQuimigal Quimicaという化学会社で,2ヶ月間実験データ解析用のWindowsアプリーケーションをひたすら作成していました.もちろん週末はポルトガル国内を方々に出かけてポルトガルという国を満喫したり,10日間の休暇を必死な思いでGetして,イギリスとオランダにも出かけてきました.本稿では,その2ヶ月にわたる私のポルトガル生活について,とりとめもない話をつらつらとお送りします,と申し上げたいのですが,実はこのお話,非常に長いので詳細はいずれ作成されるはずの私のHPに譲ります.というわけで,いきなりボスとの対面からです.


ボスとの対面
6月29日,今日は,これから2ヶ月間私のボスになる人とのご対面です.その日は朝早くから準備して,リスボン郊外のSt.Apolonea駅から急行列車に乗りました.列車の乗り心地はまずまずでしたが,思っていたより混雑していたのには驚きました.それから,車窓からは一面の田園風景が見られて西洋の国というよりは,秋田県にでも来たような気がしました.ところで,ポルトガル人はよくお米を食べます.パンやパスタと同じくらいご飯を食べます.だから田んぼが多いわけです.ちなみに,ポルトガルではお米のことをArrozといいます.

Fig. ポルトガルの田園風景
車窓をぼんやり見ている間に,LisbonのSt.Apolonea駅から急行列車で2時間半ポルトガル第4の都市,Aveiroにつきました.ここは,ポルトガルの小ベニスと呼ばれる都市で,町のあちこちに運河が流れるきれいなところです.日本の大分市と姉妹都市らしくて,OHITAという雑貨のショッピングセンターがありました.

Fig. Aveiroの駅
私のボスは,私を駅のホームで迎えてくれました.欧米のボスというと,背が大きくて厳つそうな人かなと想像していたんですが,割と普通の人で背も僕より小さかったです.はじめての実践英語で,片言の挨拶をしてボスの車に乗り込み一路これから泊まる宿舎に向かいました.車中,はじめてみる南欧の風景にしばし目を奪われながら,ボスのすさまじく速い英語に翻弄されていました.これが英語か.不安.
宿舎に向かう途中,Toropicaというレストランでボスに昼食をご馳走になりました.ポルトガルについてからEuro2000のサッカーが終わって食べに行ったとき(HP参照)以来のまともな食事をしました.確か食べたのは,Bacalhau Assadoという干しだらのローストだったと思います.前日がステーキだったので,魚が胃には丁度よかったです.薄味で淡白な味で,オリーブオイルをかけて食べました.素朴な食べ物です.こういうのが好きなんです.
食事の後,これから滞在する宿舎に向かいました.宿舎は昔の洋館でとっても大きいものでした.

Fig. 宿舎
私の部屋は玄関から入って右側の1階の部屋で,西向きのきれいな部屋でした.中にはダブルベッドが一つ,クローゼットが2つとタオル一式が置いてありました.この宿舎は私のほかに,私のボス夫婦とイタリア人の男性が一人,ポルトガル人の女性が4人の合計私を含めて8人がそれぞれ一部屋ずつ使い,キッチンやバストイレは共同で共同生活しました.また,毎朝この宿舎にはメイドさんがやってきて,部屋の掃除などをしてくれます.会社所有の宿舎なので,光熱費はタダです.

Fig. 私が泊まった部屋

研修先の企業
宿舎を訪れた後,5 kmくらい離れた研修先の会社に向かいました.この会社はデュポンのグループ会社で,硝酸を製造し,それからニトロベンゼンを作り,最終的にアニリンを製造しています.私はボスに会社内をいろいろと案内されて,ラテン系らしい歓迎をたくさんうけました.みなさんとにかく陽気で,最初の緊張はどこへやら,すっかり調子に乗せられました.

Fig. お世話になったIsabel(右)とCami(左)
実際私が勤務したところは,工場内の一角にある研究所でアニリンから派生する様々な生成物のうち,目的とするものを触媒や操作条件の調整で効率よく製造しようというプロジェクトを推進しているところでした.プロジェクトといっても,実験をしている社員さんのIsabelという女性とRuiという男性の二人と二人の共通のボスである私のボスの3人のチームです.ここに私が今日から加わったのです.

Fig. 職場


仕事の内容
ボスは会社内の紹介が終わったら直ぐに私を自分のオフィスに連れていって,私にさせたいことを話してくれました.話によると,現在ボスが推進しているプロジェクトでは,実験により様々な化学種の濃度プロファイルのデータが得られて,それをもとに反応速度式(dCi=f(ki,t)(i=1,?,n)のパラメータ(ki)を最小自乗誤差でフィッティングして,反応速度定数(kinetic constant)を決定するということに取り組んでいました.このお話を聞いて当初私は,このような問題に取り組むためにはLevenberg-Marquardt法と呼ばれるパラメータフィッティング用のソルバーをネット上から拾ってきて,それを使ってどうのこうのすれば容易にできると考えていました.しかし話を聞いていくにつれ,①フィッティング結果のグラフがほしいとか,②評価関数を容易に変更できるとか,③既製のLevenberg-MarquardtのSolverを使う,④データの統括的な管理などなど色々と要望が出てきました.これらを満足するために,私は開発環境としてMicrosoft Visual BasicO(以下,VB)を使い,ソルバーはCompaq Visual FortranOを使うことになりました.今まで,満足に大規模なアプリーケーションを開発したことのなかった私にとって,これは一大事でした.聞くところによると,同僚の人はほとんどVBに関して知らないらしくて,結局のところ開発は私個人で進めなければならないということでした.

こりゃー大変だーという半面,日本にいるt時と違って働いている時間のほとんどをプログラミングに費やせるという環境は,私のように下手の横好きでプログラムミングしている人間にとっては,またとない実力アップのチャンスではないかと考えました.正確には,そう考えて毎日を生活するほかないほど,逃げ場がなかった.

翌日から,さっそくプログラムを書き始めたのですが,開発は困難を極めました.同じMicrosoft Windows98Oでもポルトガル語仕様になっており,微妙に文字セットが違うため,テキストファイルを処理しなくてはならないアプリーケーションにとってはかなり根本的なところで苦労しました.例えば,日本語の小数点は"."ですが,ポルトガルでは","なんですよね.ところが,Excelは","を小数点と認識しないらしく,ましてやVBでもだめ.また,VBとVisual Fortranをどうやって効率的に連携させるかなどなど,克服すべき課題は山積みでした.しかしながら,私のプログラミング能力は所詮ど素人の域を出ないのですが,下手の横好きで5年もキャリアがあれば,試行錯誤している内に形になっていくもんですね.

Fig. 作成したアプリケーションのタイトル画面
ポルトガルで,仕事以外のことで職場にいて感じたことは,仕事中に音楽を聞きながら,実験ができること.仕事中にインターネットで遊べること.こういうのは大学では,多めに見られているかもしれませんが,日本の会社では絶対ありえないと聞いたことがあるので少々驚きました.それに,毎日タダで濃いエスプレッソコーヒーが飲めること.私は日本にいるとき,大概お茶を飲むので,最初は苦くて大変だったのですが,毎日飲んでいると世の中のカフェイン中毒者のように,飲まずに入られなくなりました.ポルトガル人は自分達が飲んでいるコーヒーは世界で一番おいしいと誇りを持っていて,良く自慢していました.アメリカンなんかコーヒーじゃないともいってたかな.社内にあるこのコーヒーコーナーは,社員憩いの場でBenficaやFC Portなどのポルトガルのサッカーチームの話等をしました.もっとも,私はポルトガル語がからっきしだめなので,話に入って行けない時は寂しい思いをしましたな.
それから,昼休みがなんと2時間もあり,一度宿舎まで帰って,自炊をしました.自炊といっても最初のころは何も作れず,買ってきたシリアルを食べたり,手軽にできる料理を教えてもらったり,Isabelなどから食べ物を分けてもらったりして生き長らえました.こういう生活も,ポルトガル生活に慣れるにしたがって,徐々に改善され,パスタや肉料理など多彩な自炊生活が送れるようになりました.ポルトガルでは,米が簡単に手に入るので,炊いてチャーハンにしてよく食べました.そう言えば,毎週金曜日になるとみんな仕事を早く切り上げて,自分の実家などの本来の家に帰ります.そのため,みんな金曜日になるとうきうきで,あんまり仕事をしません.週末の予定を話したりして仕事中もわいわいやっています.本当にポルトガルというのはいいところです.(もどる)


アフター仕事
一日中コンピュータに向かってプログラミングするという仕事は,予想以上に目や肩,頭を疲労させて最初のころは仕事から帰ってくるとベッドに直行でした.日を重ねるにつれて,ポルトガル人からポルトガル人的仕事の仕方を伝授されて,段々とぶらぶらするようになりました.
仕事が終わって,一番の楽しみは食事をすることです.最初のころはポルトガル料理を堪能しようということで,近くのレストランAntonioによく出かけていました.スープとパン,メイン料理,デザートでだいたい750円から800円位が相場で,ポルトガル人にとっては毎日行けるほどではないらしいですが,リーズナブルなお値段でした.

しかし,メニューの内容がさっぱりわからないので,Peixe? Carne? という風に,魚なのか肉なのかをたずねて,適当にメニューを指差して出てくるのを楽しみにして注文しました.ポルトガル料理などの西洋料理を十分楽しむ一つのコツは,恐らくEntrada(付け出し)で出てくるパンやチーズ,イワシのすり身などを食べ過ぎないことでしょう.それに,必ずメイン料理の前にスープを頼むことです.スープの値段はいっぱい100円くらいなので,お手軽ですし,この一杯にそのレストランの実力が出ているような気がします.とにかく,Entradaを少なめにして,スープをおいしく頂いたあとメインディッシュを頂くのがいいです.そして,メイン料理が終わったあと,お腹が落ち着いたら,Salada de Frutasという日本名フルーツポンチを食べるのがよろしいかな.とにかく私は,メイン料理を取り替えながら,毎日のようにこのパターンで食事をしていました.

外食ができるのは時間的に余裕のある夕食時に限るので,朝食や昼食は自炊することになりましたが,その買出しのために週に2回くらいは近くのスーパーに出かけたり,Isabelに近くの大きなスーパーにつれて行ってもらいました.スーパーの規模は日本でも同じようなものを見つけることができるのですが,陳列されているものはよーく見ると色々と変わっていて楽しいです.なかでも,野菜は日本で食べてるものとよく似ているんだけど,味が微妙に違いました.また,フルーツは日本に比べてとても安くて,ここぞとばかり沢山買って食べました.特に,イチゴ,ぶどう,メロンが安くて私にとっては天国でした.また,肉は日本のスーパーのようにパック詰されていなくて,グロテスクな肉の塊を指定して,係りの人に切ってもらわなくてはなりません.日本だったら,「すみませーん,これ200gください.」といえば済むことですが,ポルトガル語ではそんなことを伝えるだけでも苦労しました.上のような決り文句を言えても,店員さんが「それだけか?」といっているのがわからなくてさらに苦労しました.

それでも,異国の地でレストランに行ったり,買い物をしたりするのは楽しいもので,観光では味わえない,生活しているなぁという実感が沸きました.


週末の楽しみ
勤めていた会社は完全週休2日制で,仕事の内容のところで少し話しましたが,みんな自分の家に週末は帰ってしまうので,私一人広い洋館に取り残されてしまいます.最初のころは,あまりに大きすぎて,排水の音やぎしぎしとしなる音でびくびくしたものです.誰もいない洋館に,一人でいてもしょうがないので週末はポルトガル国内をかなり旅行しました.これも写真以外は,HPに譲りますね.

Fig. ナザレビーチ
初めてポルトガルのビーチ,ナザレに出かけたときの写真です.大西洋に面したビーチはとてもきれいで,ユーラシア大陸横断したんだぁと漠然と感動しました.ナザレは世界的なリゾート地で,レストランのメニューでは6カ国ご表示は当たり前で,日本語メニューをおいているところもありました.

Esterrjaから電車で1時間のところに,子供向けのポルトガル全土をミニチュアにしたような遊園地Parque Portugal dos Pequenitosがありました.童心に帰って,ポルトガルの歴史をお勉強しました.そこでのショットです.銅像が心なしかいやそうなのと,私の手が気になりますね.

Fig. 奴隷貿易時代の銅像
次は,Coimbraで遭遇した結婚式です.大学の構内にある教会で,挙行されていました.Coimbraは宿舎から電車で1時間位で近かったせいもあり,よく週末には出かけました.大学の町で,とっても居心地がよくレストランが安いのも魅力ですね.

Fig. コインブラの結婚式
ボスに言って,やっとの思いで手に入れた10日間の休暇を利用して訪れたイギリスでの写真です.隣にいらっしゃるのは,現在イギリスUEA留学中の車田先生です.

Fig. イギリスで車田先生と


おわりに
ポルトガルでの2週間は,私に働くということを改めて考えさせられた日々でした.学生は楽やなーと.研修先の会社は私に,賃金としてポルトガルの大卒初任給くらいを支払ってくれました.確かにこれくらい頂けるに値する仕事をしましたし,ボスからはそれだけの期待とプレッシャーを日々感じました.特に最後の1週間は,凄まじい質問攻めに遭いおろおろしながら,コードを直していました.たかが研修生ですが,されど研修生です.やはり雇われるからには結果を出さなくてはなりません.厳しいです.現実は.
日本に帰ってきて,ちょっと変わったのは,朝早く来て,とにかく日中は寸暇を惜しんででも研究なり何なりをすることです.別に誰に期待されているわけでもないのですが,自分の足で立てるように基礎固めはしておかなくてはと.
いつ何時,質問攻めに遭っても平気でいられるようにね.感想をお待ちしています.


Fig. お世話になりましたボスと